仕事の教育の難しさ。
社会人になると、先輩から仕事を教わります。何も分からない状態では仕事が出来ないので、先輩に教わり、早く覚えて戦力になる様に頑張るわけです。一方、教わる側が居るなら教える側もいるわけで、こちらは早く新人が仕事を覚えて自分の負担を減らせる様、会社がより円滑に回る様にするために頑張るわけです。どちらも大変ですが、会社に属するという事は、避けては通れない局面であり、誰もが悩んでしまう場面でもあります。
近年”教育”で発生する問題
最近では、新人が「全然仕事を教えてくれない」と言い、先輩が「全然仕事を聞きに来ない」と言うそうです。双方の主張は矛盾しているように感じますが、実はお互いに問題があり、この様な状態に陥っています。それは、双方の態度に問題があると感じます。会社なのですから教える先輩の方に問題があると思われがちですが、先輩も業務とはいえ人間なので、やはり教えたくなる様な状態、教えてもらえる様な態度があった方が、教えるにあたりより円滑に、質の良い教育が出来ると思いませんか。
教育の感覚の変化
一昔前は、何としても会社で活躍して偉くなろうと奮闘する新入社員が圧倒的に多かったと感じます。だから新入社員は、先輩に気に入られ、仕事を教えてくれやすくなる様、自分から積極的に関わりを持ち、仕事を覚えて行ったのだと思います。現代では嫌悪される会社の飲み会ですが、当時はそれこそ先輩に気に入られて仕事を教えてもらえるチャンスだったのでしょうね。それが今では、先輩は仕事を教えて当たり前「早く僕に仕事を教えに来てください」と、学生気分の新人が多いのでしょう。これでは、いくら給料もらっている会社の命令でも、先輩は気分良くないでしょう。しかし、現代の新人からすれば、先輩が仕事を教えるのは当たり前という感覚なので、これを問題だと思わない。ここから強烈な亀裂が出来るのだと思います。
教育プログラムなるモノの存在
あって当たり前だと思うかもしれませんが、よっぽど危険なものを扱う大会社以外、こんなものは存在しなかったと思います。大体は、仕事を覚えたい新人が積極的に仕事を聞きに行き、コミュニケーションをとっており、教育というモノに対して企業はあまり苦労していなかったと思いますが、最近では、受け身の新人が大半を占め、平気で「知りませんでした」という若者が普通に存在します。悪い事では無いし、会社のシステムや先輩に責任があるとは思いますが、やはり時代はごっそり変わってしまった事を受け入れるべきだと感じました。
他人に干渉しない社会
最近では、会社の飲み会も必要ないという若手が相当数存在しています。(会社の飲み会は嫌だけど友達とは飲みに行くというのは少し違う気がしますが)先輩や後輩との関わりに興味が無く、会社というのはただの仕事場という感覚なのでしょう。仕事の話はするけどプライベートは関わって欲しくないという若者が凄く増えてきている気がします。飲み会なども急激に消滅していく事でしょう。
コメント