相対評価とは何か
相対評価とは、対象が2人存在し、どちらかを評価した場合に、最初に評価した方の評価を基準に2人目以降の評価を行うといった感じの事です。個人個人を評価するのではなく、「比較対象」が存在して言う為、悪くなくても良い方と差を付ける為に評価が下がったりしてしまいます。あまり良くないと思うと思いますが、皆さんも常日頃に無意識にやっていると思いますよ。
スポーツ大会の日本人選手控え室
日本人選手が使った後はとても綺麗だそうですね。それは凄く誇らしいです。使ったものは自分達で綺麗にする。当たり前ですね。来た時よりも綺麗にするという言葉もありますので、日本人の持っている民度が発揮されているのでしょう。こうして世界に日本の凄さが認められるのは、とても気分が良いです。しかし、そうも言っていられない感情も出てきます。他の外国人選手の控え室です。
彼らは掃除をせずに帰るのですが、よくよく考えればこれは悪い事では無いですよね。わざと汚したりするのはいけないですが、設置されているゴミ箱にごみを入れて帰ったり、控え室で着替えた時の埃や毛を残してはいけないとも思いません。私個人としては、選手としての一定のモラルのある使い方をしているなら、わざわざ掃除をする必要もないと感じます。
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選手控え室を一定のモラルの範囲で普通に使用した場合、掃除をして帰らない事は悪では無いです。なら彼らの評価は「0(原点)」となるわけです。しかし日本人選手は、同条件で使用した控え室に対し、掃除をして帰りました。これは評価「+1」になりますね。相対評価をする場合は、これでは終わりません。日本人が「+1」外国人選手が「0(原点)」となった場合、日本人選手を基準に見たら、グラフ上、外国人選手はなんと「-1」になってしまいます。これは外国人選手からしたらいい迷惑ですね。日本人選手はそんなこと全く思っていないし、世界も日本を評価するだけで外国人選手を「-1」なんて評価しませんが、相対評価とはこういう結果を生みます。こういう考えをしないという保証も有りません。人間の感情と言うのはどこでどう感じるのか分からないからです。
表彰を断る功労者も注意
誰もが認める功労者の中には、表彰を断る人が居ます。本人は本当に自分に見合っていないと感じていて拒否するのですが、実は人間の感情はそんな単純には終わりません。誰もが認める功労者が表彰を断ったのであれば、今まで受賞した人たちは「あの人が断った表彰を受け取った」という相対評価を受けるわけです。恨みを持たないとは言い切れませんね。これが人間の感情です。私個人的には素直にもらっておくべきだと思いますが、貰ったらもらったでまたネタまれそうですね。結局はもう顔を外に出さない方が良いという結論に行きついてしまいますね。
疲れる生き方
こんなこと考えながら人生生きていてもつまらないですよ。疲れるだけです。周囲の人間にどう思われようと、自分をもって生きればいいのです。自分がしたい事をして生きればいいのですよ。私が述べたのは単なる一例、現代言葉で言うなら陰キャの妄想でしょう。皆さんは明るく楽しく人生を謳歌してください。つまらないこと言ってすみませんでした。日本人選手素晴らしいです。我が国の誇りだと思います。
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