相談所で話を聞いてもらう事
近年では、個人が沢山悩みや心配事を抱えており、第三者に相談する事が大変多い時代です。企業や学校でも専門の相談所を置くなどの対応に努めています。そういうカウンセラーを常駐させておくのが当たりまえの時代になっているのでしょう。会社によっては「産業医」という人が居て、労災で復帰する時などの支援をしたりしています。私はいろんな意味で全く支援してもらえませんでしたが、存在はしているそうです。個人的な事なのでいいのですが。
相談の「返答の内容」が変化気味
テレビやラジオでも、相談の番組があったりします。割と長寿番組も有ったりして、世の中には相談したい人が沢山居るのだという事が分かります。さて、その相談内容なのですが、どうも返答内容が昔と違う気がします。昔は「あなたはこういう状態にいるから、こういう行動を取ると改善する。こういう権利がある」という様な、いわゆる”対抗手段”の様なアドバイスをしていました。しかし最近の相談返答内容は「あなたはこういう状態にいる。けどそれはあなたが受け止め方をこうすれば良い。あいても心が弱ってるからこう考えてあげて」という様な、要するに受け手側が我慢する事を納得させる内容となっています。
争い回避には効果的な返答
確かに、自分の考えを変えれば、受け止め方を変えて対応すれば改善する可能性のある問題というのも、私自身、実際に聞いた事があります。しかしその域を超えている場合もあるわけで、それで逃げたいとか縁を切りたいという内容に対し、もう少し我慢してみてはどうかと言う返答は、あまりにも無責任な気がします。出来ないなら相談員止めた方が良いのではないでしょうか。もちろん争いを回避できる結果に行けるのが一番良いのですが、相談の返答内容としては不十分な気がします。私もパワハラに対し、先輩に相談したところ受け方を変えるどうの言って来たので話にならず切り上げて帰りました。
助けて欲しいから相談している
現状を改善したいから助言を求めているのに、その返答が「受け方を変えて我慢する」では、話になりません。最近のメディアの相談番組や、機関の返答はほとんどがこれな気がします。真摯に解決に導いてくれる相談員も居ますが、そうでない場合は時間の無駄ではとさえ思ってしまいます。ただし変に盛り上げて難しくすると、縁が切れた後に「追撃」される可能性もあるので、本当に被害者と言うのは円満な解決と、二度とその人物と一生関わらないで済む人生を望んでいます。それを考えると、争いに繋がる回答をしないのも理解できなくは無いですが。
被害者や加害者は絶対ではない
ただし、被害者とされている方が絶対的被害者とも限りません。職場なら、会社の求めた基本的な業務をこなさずミスばかりしている後輩を叱責されているのであれば、上司に叱責を控える助言と共に、被害者とされている後輩に、仕事の取り組み姿勢の改善をさせる必要があります。家庭なら、家事や育児に対して、一般的視点から不足が見て取れていて、夫が妻を叱責するのであれば、夫の叱責を控える助言と共に、妻の家事と育児の改善もさせる必要があります。それが平等です。被害者とされている側が問題の根本を見極め、自覚し、改善しなければまた同じことが確実に起きます。だから加害者とされている側の意見も聞くべきなのです。そういう点では、不用意に問題解決を支持しない現代の相談員の返答内容は正解かもしれませんね。
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