被災地に贈られる義援金
何か災害が起きると、被災地に義援金が集められます。そのお金を元に、被災地に支援が行き届き、より迅速な復興に向かうわけです。被災地の一日も早い復興を願い、私たちは義援金を送っています。しかし、その義援金は、ある程度すると、本来使うべき使われ方をされなくなります。何故今、そんな事に使うのか、義援金を裁く能力がないのかと思ってしまいます。義援金を送られた行政は、そう思われない仕分けをしていただきたいです。
義援金の使われ方
義援金は、被災者の支援と復興に使われます。被災してどうしようもない人達に支援の輪が行くわけですが、終盤になるにつれ、おかしな状況になるのです。まだ避難している人が居るのに、壊れた家があるのに、暮らしが戻っていない人が居るのに、義援金がダムやモニュメントや銅像になります。何故ですか?私たちは、復興後の再生の後押しに義援金を送っているわけでは無いです。困っている人達に、生活を取り戻してもらうために送っています。それが何故、まだ復興していない地域があるにも関わらず、そこに支援が行かないのか、大いに疑問です。
実際の被災地の現状は
熊本地震の被災地、東日本大震災の被災地、これらの地域に、もう被災して暮らしが取り戻せていない人は1人も居ないのでしょうか。救援物資が必要な人はいないのでしょうか。お金がなくて、半壊した家に対し、住む事も壊す事も出来ない老夫婦とか、親を亡くしてしまった子供とか、被災者はいないのでしょうか。居ないから銅像を建てたのだと思いますが、少なくとも私はそんな物の為に義援金は送っていません。もしまだ困窮している人が残っているなら尚更です。そんな事をいつまでもしていたら、義援金を贈る人間は確実に減ります。
被災者にも落ち度があるとか
ある被災地で、毛布の提供があったそうなのですが、担当者は「毛布のサイズが規定と違うから受け取れません」と言ったそうです。他にも食料を提供したところ「人数分ないと受け取れない」とか、探査権犬を送ったところ「狂犬病検査を受けていないから無理」などです。まぁ狂犬病は正しい判断かもしれませんが、上記2点は被災者の落ち度もあるのではないかと思います。毛布のサイズの規定は、過去になにか体格の違いで差別と批判を受けたなどあるのかもしれませんね。食料の数はもうあり得ない程愚かですが。被災者も、秩序とモラルを持ち、行政に協力する形で協力し合わなければ、助けられる命も助けられないのだと思います。
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