難しい善行。
良い事をしたら、された方はお礼を言う。これはお互いに気持ちのいい結果に終わる一番良い一連です。この関係で終着点に行ければ、お互い気分のいいままでしょう。しかし、そうならない場合があります。例えば障がい者さんを支援した場合などです。「支援された方がお礼を言わない。」とか「逆に怒られた」などたまに聞きます。しかしそれは、相手の立場になって考えると、見えてくるものがあると思います。
支援される側の心境
支援される方は、もうその支援100回目なんですね。助ける方は、ある日出くわした他人のピンチを救ったと思うと思いますが、支援された側からすると、今までもこれからも、ずっとずっと関わる事象なのです。そのすべてに笑顔でありがとうと言わせることを強要してしまうとしたら、貴方は支援後にお礼が欲しいですか?私は欲しいと思います。人間だから、欲があります。でも、もうそれを求める事は出来ません。私の分の1回のお礼は、休んでもらおうと思うでしょう。
善行に関する昔話の皮肉
昔、一人のぼうずが修行の旅に出ていたそうです。ある雨の降る日に、一人の男性が道端で座ってうつむいていたらしく、ぼうずは傘を1つ譲りました。男性が何も言ってこないので「雨を防げて良かったですね」と、お礼を求める投げかけをしてしまい、ぼうずは、ハッと気づいて修行のやり直しをしたそうです。
私の場合の、見返りを求めた善行例
私は休日だと、路肩から出てくる車を譲る事が多いのですが、10台に1台くらいは、全くお礼をしない人が居ます。すると私は、「なんでお礼もしないんだ」と思います。確実に思ってしまいます。私が未熟者だからでしょうね。困っている人を助ける事に見返りを求めているから、そういう感情が出てくるのでしょう。それは私が人間でいる限り、一生無理だと思います。それが出来たらもう仙人ですね。
善行の善行をする
善行をしたら、その善行に善行をする事で、相手の感謝などの見返りがなくても、落ち着く事が出来ると思います。勿論、相手がお礼をするべきですよ。それは絶対です。しかし、それがもう疲れてしまう程してきた人が居ます。これからもしなければいけない人も居ます。それなら、自分の1回くらいは休ませてあげようと、思う気持ちを持てる事も、必要かもしれません。貴方の行った善行は、誰かが見ていて心の中で拍手していますよ。ありがとうございます。
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