商店街の存在意義
商店街は、地域の生活を支える為の存在であり、各お店で売っているもので、その町の人達をお互いに支え合う所となっています。その地域で人の生活が成り立ち、お金が動き、経済を回せていたわけです。今となってはほとんどの商店街が閉店してしまい、もはや商店街とは過去のモノとされてしまっていますが、実は最強の制度だったのではないかと、個人的に思っています。過去の事で美化されているのかもしれませんが、実態を見て行くと、評価できるところもあったと思います。特に現代人には。
商店街というコミュニティの素晴らしさ
商店街というと、限定された地域での活動範囲の生活になるわけです。そうすると、もうみんな知合いです。生まれた時から知っている人ばかりなわけです。融通も効くし、お願いや希望もあるていど通る事でしょう。
商店街での就職
お店を開けば、雇い主も客も全部知り合いです。観光客とかは若干いるでしょうが、基本みんな味方です。ある程度の事はお互いに理解して助け合える事でしょう。現代では、知らない会社で知らない人を上司に持ち、知らない顧客に対応しているわけですが、心身が疲弊して当然だと思いませんか?
商店街での休日
商店街の中では、みんながその限定範囲で一緒に活動するわけですから、休日を合わせたり調整するなど容易な事です。そこで可能になるのがイベント行事ですね。お祭りとかも自由にできます。仕事は商店街に合わせるからであり、その商店街は生活の基盤であり、客も雇い主も全員知り合いだからです。現代では、休みなんか自由に取れませんね。上司も会社も部下も他人で、休日に申請が必要です。勿論お祭りなんかで申請するものなら、出世コースからは確実に外れるでしょう。ちょっとの体調不良でも休めるわけが無いです。祝日や年末年始という概念など存在しない会社も有るかもしれません。人生に疲れたと感じて当然だと思いませんか?
商店街制度を無くしたのは商店街で育った世代
商店街で育った世代は、商店街から羽ばたき、大型ショッピングセンターを建てたりしました。確かに大型ショッピングセンターは買い物に特化し、利便性も良く、効率も良いでしょう。テナントという方法を取れば、ショッピングモールを建てた権利者も設ける事が出来ます。私も、ショッピングモールは何でも揃うので、とても便利に使わせてもらっています。その代わり、店の店員も周囲のお客もみんな知らない人で他人です。服を買う時なども話しかけてくれますが、他人なので素直に聞けません。今回は悪い所を上げていますが、良い所の方が多いと感じているのは確実ですが。そんなショッピングモールが商店街に衰退の切っ掛けを与えたのは明白だと思います。
小規模地域コミュニティが縮小
自家用車の一般家庭の普及も、商店街を出て全国に広がる切っ掛けにもなったと思います。自転車の時代からすれば、自家用車は行動範囲を大きく広げたでしょう。そうすると、商店街に駐車場を整備する場所は最早無いと思います。その辺りから、商店街という制度に暗雲が立ち込めていたわけですね。誰でも生まれ育った場所だけでなく、広い世界を見てみたいと思うのが普通であり、もっと儲けたいと思うのも普通と言えるでしょう。なのでこの流れは普通の事だとも言えます。
幸せになれる最大範囲はある説
日本は管理範囲を広げ過ぎたのではないでしょうか。公共交通機関や自家用車の発達で、越県が信じられないくらい簡単になった時代で、もう商店街規模の生活基盤なんか考えられない時代になっているのでしょう。生活基盤が広がる度に、人間関係の密度や本当の自由や幸福が薄く伸びてしまっている気がします。商店街が全て良い所だけだったとは言いませんが、特定の範囲で自由に幸せにストレスなく生きられる人生も送ってみたかったです。
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