怒らない人の思考回路

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職場でも学校でも怒らない不思議な人

何故か怒らない人というのが、職場でも1人くらいいると思います。なんであの人は怒らないのだろうと考えた時に、「優しい」「人間が出来ている」「平和主義」と言われることが多いですが、実はどれも間違いで、その思い当たる怒らない人も、おそらく人間であると思われるので、感情は一般並にあります。では何故その人は怒らないのでしょう。

怒らない理由ベスト3

とりあえず理由を書き出してみたいと思います。
勿論、これは全ての怒らない人に当てはまるわけでは無いです。貴方の職場の怒らない人は、本当に平和主義者で人間が出来た優しい人かもしれませんからね。もし本当にそうなら聖人君子ですけどね。

3位:自分の落ち度をしっかり理解しているから

自分が無能で、お情けで、日本の終身雇用のおかげで雇ってもらっている事を理解していて、申し訳なさから、上司や先輩に叱責されてもすべて受け入れて謝る人です。本人は本当に申し訳なく思っているので、そもそも怒るとか選択肢がないのですね。ただ、謝るなら自分で仕事に対して向上させる努力をするべきなので、あまり同情するには値しないと思います。怒る側も起りたくて怒っていないし、怒る事で周囲の評価も下がるので、社内の空気悪くしているだけです。

2位:意見すると未来の自分に新しい負担がくるから

例えば、現状で相手からの「Aの負担」があるとして、それを相手に怒って意見する事で改善してもらうとします。すると確かに「Aの負担」は無くなります。しかし、文句を言っていた相手は「人間」なのです。人間は、不満を持つと「仕返し」「嫌がらせ」をしてくる生き物です。もし「Aの負担」を改善するよう進言したら、数日後に、悪意がこもった故意の嫌がらせ「Bの負担」してくるでしょう。確かにこちらの要望通り「Aの負担」はやめてくれたわけですからね。筋が通っています。
結果、「Aの負担」だけだったものが「Bの負担」に変わっただけで「嫌がらせの警戒」「人間不信」「憤り」など更に余分な負担が一気に増えます。大体がこのパターンになります。思い当たる節ありませんか。だから怒らない人は、もう人間の感情に嫌気がさしています。人間の感情による余分な負担が増えるなら、一生変わらない「Aの負担」を背負う事に決めているのです。だから文句や意見を言いません。

1位:人間に興味が無いから

2位の内容とほぼ同じですが、もう人間の感情にうんざりしているから余分な争いを生まないのです。もう他人とか全く信用していないし、深く付き合いたいとかいう感情は一切ありません職場の業務を遂行しながら片手間で雑談する程度で満足しています。それ以上の接触を一切望んでいません。人間はめんどくさいと結論付けて完全に閉ざしています。

戦闘民族が多い人間界

よく言えば負けず嫌いですが、悪く言いますと、負けるとタヒぬ性格です。
例えば、「ゴルフ好きなんだ」というと、戦闘民族は「俺はあんな遊戯嫌いだよ(①)!自然破壊するし(②)!棒で玉ついても面白くない(③)だから俺はやらない」という感じの返答が多いです。この文を解説しますと(①)が自分はそれに対して嫌いだと明確な感情を表現、(②)がそれを嫌いな持論を展開し嫌いな自分を正当化、(③)でやらない理由に対しても正当化しており、最後に”だからそれをやらない自分は正しい”と正当化します。相手はただただゴルフ楽しいという話をしているのに、戦闘民族には「ゴルフという遊戯に打ち込んで人生エンジョイ出来てる」と聞こえるそうです。そうでなくとも、返答のニュアンスや内容が、遠回しにそう聞こえています。

正しい反応などは有りませんが、私なら「そうなんだ、でも自分はちょっと楽しめなさそうかな、上手くなれば気持ちいいんだろうけど」という感じで答えると思います。これが正解とは言いませんが、戦闘民族の返答よりは、両者共スムーズな会話になると思います。ただし、私の返答は他人行儀というか、心が無いというか、受け流す様な返答で心が無いともとれますね。

怒らない事は優しさではない

本当に優しい人とは、相手の為に怒ってあげる事が出来る人、何かをしてあげられる人です。怒ってあげるというのは、例えば、子供が泣くと祖母は子供にお菓子を上げます。しかし、その子を本当に愛して将来を考えている親は、我慢させて夜に晩御飯を食べさせます。この場合子供は祖母を優しいと思うでしょう。しかし本当に優しいのはどちらかは明白ですね。
他にも、仕事でいつも怒るけど文句を言いながらも対応してくれる有能上司と、何もしてくれないでミスになっても責めてこない無能上司のどちらが本当に優しいでしょう。世間では、無能で怒らない上司や、お菓子を上げる祖母が「優しい」と評価されます。

 

人間関係は本当に複雑ですね。。

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