最近話題の「親ガチャ」とは
「親ガチャ」とは、現在の自分の状態や性能は、全て親で決まったという主張です。親に財力や教育力があれば、自分はもっと優秀に育ったはず。親がもっと美形で高身長であれば、自分はもっと美しく育ったはずであるという主張です。言いたい事はなんとなく分かりますし、そう思いたい気持ちも分かります。しかし、それは冗談抜きで主張する事ができる内容でしょうか。
自分のスペックを親の責任に出来る権利とは
全てを制限され、親の言うとおりにしか生きてこなかったのであれば、親の責任を主張する事が出来るかもしれませんが、努力する権利や時間があり、そのスペックを改善する事が可能だったのに、しなかったので改善せずそのまま来てしまったのなら、本人の努力不足も1つの原因ではないでしょうか。確かに遺伝や初期教育の影響は有るかもしれませんが、それが全てでは無いと思います。全力でがむしゃらに改善努力したのにダメだったという人にだけ、「親ガチャ」という主張をする権利があると思います。
「つくらなければ良かっただけ」は過去の両親には無効
現在はその両親の子供として存在し、両親に意見を言う事が出来る存在だから、ある程度の事は聞いてもらう事が出来ますが、「つくらなければ良かっただけ」という理論は、あなたが生まれる前の、あなたの存在が一切ない、ある男女の行為に対する主張です。生まれる前のあなたに、若い男女の行為を止める権利があるのでしょうか。その将来あなたの両親になる男女を止める為にあなたが出て行って説明して、その将来両親になる男女は聞くと思いますか。逆にあなたが異性と交際していて、よく分からない人間が「あんた達の子供なんだけど悲惨だから子供つくらないで」と言われて理解しますか。「つくらなければ良かっただけ」という主張が、実はどれだけ異質な主張か理解してもらえたでしょうか。
両親が言わずにいる主張
両親においても、美形で頭のいい運動ができる性格のいい子供が欲しくないと思う人がいるでしょうか。出来ればそういう子供が欲しいと思うのが普通であると思いますが、生まれてきた子供が自分からスペックに不満があると主張し、「親ガチャ」などと言ってきたら、どう思うでしょうか。黙っている両親は、本当に論破されたから、黙っているのでしょうか。
そもそも、行為に及び、受精する時は、1つの卵子に対して”億の精子”が卵子に向かって飛び出すわけです。それで1番になり優秀な遺伝子として見事受精に成功し生まれたわけです。という事は、本当は生まれたかったけど、負けて生まれる事の出来なかった精子が99999999存在していたわけです。もしかしたら、競争には負けたけど、美形の遺伝子の精子があったかもしれない。頭のいい遺伝子を持った精子がいたかもしれない。しかし生まれた人間は勝ち抜き、現代に生を受けたわけです。
一人で勝手に大きくなったと思う人が多いと感じます
ある日突然、
あなたは言語を話せる様になったのでしょうか。
あなたの食費は水道から出てくるのでしょうか。
あなたは生まれて自分の力で生きてきましたか。
必要以上に親に感謝するべきとは言いません。ただし、最低限の感謝をするべきではないでしょうか。子供を育てるというのは、本当に大変な事だと思います。人間なら、怒ったり弱音はいたりすると思います。それとも、親は聖人君子で子供に絶対怒らず手を挙げてはいけないのでしょうか。いけないですけどね。ただ、明らかな暴力や叱責ではない場合は、私はそれは人間の感情を持った者による教育だと思います。
本当に「親ガチャ」を主張できる現実はある
世の中には、本当に親に愛されて育つ事が難しかった子供がいると思います。そう考えると、普通の人間の叱責や躾をして、普通の普通に私を育ててくれた両親は、本当に大当たりだったと思います。育ててくれただけでも感謝するべきだと思います。学力も容姿も肉体も、確かに親の遺伝や育て方はあったと思いますが、私はそれを親の責任にできる全力の努力をしていません。だから私は親にその主張をする権利が無いと勝手に思っています。
「親ガチャ」に対するまとめ
子供に幸せになって欲しいと思わない親はいません。「なんでこんな成績なの!?」「結婚相手いないの?」など、学力や容姿が要因な事を親が聞いてきた時に「親ガチャ」の主張で自分のスペックを肯定しているのだと思います。そういう質問をする親にも落ち度があるかもしれませんが、反論としては悲しい内容だと思います。そもそも頑張っていると認識されている人間に対して人は意見を言いません。意見を言われるという事は、本人は頑張っていても、そう判断されない何か原因があるのでしょう。結果しか見ないで言う親もいるかもしれませんが、それなら一緒に考えてもらうなどすると、より早い改善に向かえるかもしれません。
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