演技の審査は絶対に平等と言えるか

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演技も審査もするのは人間。

スポーツでも、物理的な物の操作結果で点数が明確に表れる競技であれば、勝敗の審判に誰も文句はないと思います。ボールが入った。弓が刺さった。高く飛んだなどとても分かりやすいです。しかし、演技など、その競技を熟知していなければ評価をする事がそもそもできないわけであり、評価をして点数を付けるのはとても難しいと思います。技の失敗を見極めたり、ダウンしたと判断したりするわけです。ですが、世界大会ともなると、もう一つ評価に影響をきたしてしまう概念があると思いませんか。

選手自体にある影響力

演技や演武のスポーツを見ていて、私は思うのですが、「その選手はいつも優勝するけど、本当に演技の評価は平等なのだろうか」勿論、評価員は平等に判断して技術の評価をしていると思います。しかし、評価員も世界の情勢や選手の話題性や影響力は当然に知ってるわけであり、その有名な選手が出てきた時に、意識しない事の出来る人間はいないと思います。そういう場合、本当完全に平等な評価を出来ていると言えるのでしょうか。

審判員の”人物認識”を遮る審査方法

審査員には、演技をする人間の情報を全て遮断し、カメラにより全方向から撮影した映像を、ホログラムによって完全再現したものを見てもらい審査をしてもらってはどうでしょうか。そもそも審査員は固定された席から未定審査しているわけで、全方向からのカメラ映像の完全ホログラム映像の方が、逆に今より正確な審査が出来るのではないかと思えたりもします。観客の方々には、そのままの演技を見てもらえばいいと思います。

現在の審査も平等で厳格にされている

影響力で評価に差が出るのではという仮説でしたが、現在も勿論平等で厳格です。それは、いくら有名人でも、その競技協会の中では、その人物は身近な存在であり、その協会では選手皆が平等な人物だからです。その為、誰が偉いとか忖度とか存在しません。「有名人にとって有名人は、別に現場やテレビ局で会うから特別でもない」というのと同じですね。更に、スポーツの演技では、減点方式を採用している場合が多く、失敗すればマイナスという、とても分かりやすい評価方式をとっています。これらの理由により、競技による点数の判断は、現在でも平等です。安心してください。

 

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