敬語の存在意義
敬語は年上や肩書の上の人間を敬うものとして存在しています。相手を無条件で、尊重しているアピールできる便利な言葉です。取り合えず敬語を使っておけば、人間関係に角が出来る事は無いと考えています。勿論根っこでは尊敬しているから使うわけですが。しかしこの敬語、年上に対して使わない若者が多いの現実です。しかし、よく考えると、本当に「敬語を使わない側だけが悪い」のでしょうか。
敬語を”使われない”人
年齢に差があっても、敬語を使われない人というのがいます。その現場を見た第三者は、多くの人が敬語を使わない若者を非常識と思うでしょう。しかしそれはただ単に本当に彼らが仲が良い場合もあります。そういう間柄に第三者が敬語の概念を押し付けるのは違うと思います。問題は、そこまで仲良くないけど敬語を使われない人です。大体そういう人の原因は、「相応の役目や義務を果たさない人」になると思います。年や肩書に相応の働きをしていれば、自然に尊敬され敬語を使うと思います。敬語を使われないという事は、使われない側にも相応の落ち度があるのです。そこを改めず、若者にだけ敬語を強要するのは違うと思います。敬語を使わない相手を不快に思うのではなく、敬語を使われない自分の行いを改めるべきだと思います。
怒りや叱責でしか統一できない悲しさ
漫画でもよくありますね。例えば”バクマン”で、主人公達がお世話になる編集部の編集長は常にムスッとしており、睨むような眼光で厳しい事を言い、主人公達と論争していました。しかしその編集長が別部署の編集長になった時、最後にその編集長は穏やかな表情で主人公たちの前に現れて、謝罪とお礼とエールを送りました。責任を負う立場にある責任者は、部下が信用できれば普通に会話して怒る事もありません。部下が信用できなければ、怒りや叱責で現場を統制しようとします。貴方の学校や職場の責任者はどうですか?もし、良く怒る教師や上司なら、それはあなた達が信用されていない可能性は絶対にないでしょうか。『怒られる部下』と、『敬語を使われない上司』落ち度のベクトルは同じだと感じます。
個人的に敬語は便利
日本人特有の感覚かもしれませんが、敬語を使えばとりあえずは白旗振って話しかけている感じになって便利だと個人的に思っています。こちらに敵意はないと公式に示せる有難い風潮だという感覚で使っています。基本的には本当に敬って使っていますが、追加効果としてそういう面もあるかなと感じています。よく外国には敬語は無いと言いますが、実際どうなのでしょう。漫画とか見ていると「綺麗な英語だね」というセリフも見かけたりします。英語にも綺麗な英語と一般的な英語があるんだなと思います。確認はしていませんが。
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