学校の勉強は将来使わない。
正解です。学校の勉強はほとんどの人が将来使いません。使うとしたらクイズ番組の回答くらいです。それぞれの職種に着けば、何かしら関わる事があると思いますが、普通に暮らしていてまず使う事は無いです。では何故、学校の勉強は必要だと断言できるのでしょう。
学校の勉強は”教科内容”に意味はない
現在日本では基本的に国数英理社となっていると思いますが、これはただそうなっているだけであり、本来科目は何でもいいのです。とりあえず科目を統一しておけば、学力の差などが分かり、成績に見合った授業を受けられるからそうしているだけです。本来の学校の勉強の目的は『年相応に難しいと思われる課題をこなす能力を養うのが目的』です。大人になると、興味のない物でも理解して技術や知識を習得しなければいけません。その時に大いに役立つのが、学校で習った『課題をこなす能力』です。だから将来使わない数学や理科の内容を学校で勉強するのです。
義務教育は本人が勉強する義務ではない
これは割と知られていますが、「義務教育」とは親に子供を勉強させる義務を課しているのですね。昔の親は、子供に農作業をさせて学校に行かせない家庭が多かったためです。その為に義務教育として子供に勉強を受けさせる政策をとったのです。おかげで日本はどんどん強い国となりました。戦後にGHQが日本の新聞を見て「こんなに難しい文字を国民のほとんどが読めるなんて!」と日本の識字率(しきじりつ)に驚いたそうです。この識字率とは”読み書きができる国民の割合”ですが、これは日本に住んでいると当たり前に感じる事ですが、世界規模で見たらとても凄い事なんですよ。義務教育が無ければ絶対に識字率は落ちます。
余談:飛び級は正義か
飛び級という制度がありますが、それは本当に本人の為になるでしょうか。確かに学力に見合った教育を受けられると思います。しかし、心や体は見合わなくなってしまいませんか。例えば「あずまんが大王」という漫画に美浜ちよという10歳の女の子が登場するのですが、彼女は高校三年生の修学旅行編で「私修学旅行初めてだから楽しみです」と言います。本来なら小学校と中学校と高校で、人生で最低3回は行けたはずの修学旅行の思い出が、彼女には無いのです。しかも最初で最後の修学旅行も、年上の人達とです。私個人的には凄くかわいそうだと感じています。原作ではただ単にちよちゃんが発した何気ない台詞として処理されていますが。私は凄く考える所があります。飛び級は本当に本人の為なのでしょうか。
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