社会生活で必要な我慢。
子供に我慢を教えるのは当たり前のことだと思います。世の中そんなに甘くないし、一人で生きているわけではないのです。社会に出て、共同生活をして、時には相手を思いやる我慢や妥協をしなければいけません。それを覚えさせる行為については、全く問題ないと思います。しかし、世の中には、その我慢は最初から存在しなかったはずの我慢じゃないの?と思う様な事があります。
要らなかったはずの我慢
例えば、ジュース等の清涼飲料水ですが、子供が食事前やすでに一本飲んだ後に、更に飲みたいと言った場合、それは当然我慢させると思います。当然ですね。しかし、その我慢は本当に追うべき我慢だったのでしょうか?結論を言いますと「その味を知らなければする必要の無かった我慢」では無いかと思うわけです。何故わざわざその味を教えてしまったのか。知らなければ我慢する必要もなかった。と思います。確かに美味しい物を教えたくなる気持ちは分かりますが、結果的には自己満足になっており、子供に必要なかった我慢を強いる結果になっていると思います。それは本当に優しさと言えるのでしょうか。
発展途上国の親御さん
先進国の救済機関やボランティアが、お菓子やパンをあげると、現地の親はやめてくれと怒るそうです。理由は「私たち親は、もう二度とその味を子供に与える事が出来ないから」だそうです。ド正論ですね。その意見は尊重するべきで、それでも先進国の私達が、お菓子を上げるのは自己満足になるでしょう。確かに、「もう一度あの味を食べたい!」と頑張る子供も出てくるかもしれませんが、全ての子供がそのチャンスがある環境にいるとは言えません。(私達先進国の責任ですね。)
大人ですら苦戦する欲求
「酒の味を知らなければ。」「たばこの味を知らなければ。」「パチンコの楽しさを知らなければ。」大人でも我慢できない欲求が沢山あります。日常生活にまで影響をきたし、入院する人も居るくらいです。それくらい心身共に疲弊する欲求を、子供にわざわざ教える事に、意味があるのでしょうか。幼児用のジュースも有るはずで、知らなければ子供はそれで満足しています。それなのに、自己満足で清涼飲料水や炭酸を教える事に、意味があるでしょうか。我慢を教えるのは絶対的に必要な事ですが、教えるべき年齢や内容があると思います。
教育方針の違い
ただ、話を聞くと、友達の家で教えられたとか聞きますね。なので、全てが親のせいとは言えないと思います。人間関係の中で生きているので、全てを制御するのは難しいでしょう。我慢と言うのは、大人でも大変なものです。それを子供にさせる場合、不必要なものは出来るだけ避けてあげたいですね。大人になれば「何がダメで我慢する必要があるのか」を理論的に考え納得し我慢できますが、子供は感情欲求に対し、感情で抑えるしか手段がありません。私達大人より苦労しているのです。
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