歩行者が絶対的権限を持つ現行法の正体。
現在は、どんな対人事故でも自動車が絶対悪となり、まずは職務質問されます。それは勿論、業務上過失という至極真当で当然の法律によりそうなっているわけで、これは問題ないと確信しています。問題は歩行者の意識です。歩行者絶対だからと言って、五体満足な若者が、右折車が何台もいるのにもたもた歩いているのは、歩行者優先がどうではなく、モラルの問題です。何故かというと、現代の歩行者絶対法は、現代科学の限界がゆえの「妥協」法律だからです。これが正体です。
「歩行者絶対権限」という極論法律
歩行者優先により、どんな問題が起きているでしょう。一例で言えば、運転手に落ち度のない不可避の事故です。高速道路に飛び出した人間を1代目が引き、二台目、三台目、四台目が続いて歩行者を引いたとしても、全員に業務上過失の疑いがかけられる場合があります。バスの運転手がバス停で乗客を降ろしている時に自転車が突っ込んできて下敷きになり亡くなっても、バスの運転手が業務上過失の疑いをかけられる可能性があります。こんな事ばかりやっていたら、まともな社会は出来ません。これはまったくもって公平な判断ではなく、平等ではありません。車絶対悪という極論です。これは改めなければいけない法律の一つです。
「車絶対悪法」が改善されない理由
最初にも言いましたが、それは現代科学に限界があるからです。正確に言うと、「うそ発見器」です。超能力に詳しい方にいうなら「サイコメトラー」が存在しないのも原因です。
交通事故において、善悪や罪の判断を付けるのに絶対的に必要な材料になるのが「故意の事故」か「不慮の事故」かの見極めです。例えば悪人が、対象者を赤信号で渡らせる指示をして、車で引いた時、事前の経緯を知らない警察は、それが「故意の事故」か「不慮の事故」か判断できません。運転手だけの証言を元にすれば「歩行者が赤信号で飛び出してきた」でしょう。しかし今回のケースではそれは嘘です。しかし証拠がありません。特に車は誰でも簡単に手軽に対象を破壊できる所有物です。だから、この極論法律が必要になってくるのです。
その為、保険会社の事故過失割合は、どんなに無茶苦茶な所に違法駐車していても、”エンジンを切っていた車”には過失が無くなります。何故なら「ぶつかってきた車の運転手が、故意か不慮か完全に判断できないから」です。保険会社のちゅー等は当たり前の様に「止まってた車に過失はない」と言います。当施設に全く関係ない人間が真夜中にライトもつけず寝ていて闇夜に潜んでいて、気づかずバックでぶつかった場合でも、ぶつかった方が過失10とマニュアル通りの事を平気で言う人がいます。勿論バックで入った方が事前確認不足ですが。その人の言い方は保険会社の言い方では無いです。
勘違いしてはいけない歩行者
この様に、この歩行者絶対権限法、車絶対悪法は、現代科学の限界値だからこそ成り立っている極論法律ともいえる場合があります。最初にも言いましたが、特定の歩行者が勘違いしてはいけないのが、五体満足で健康体な若者が、右折車が何台も待っているのにモタモタ歩いて渡る行為です。ただし、運転手も、ご老体や子供や子連れの親御さんに対しては、一切の要望は有りません。是非歩いて安全に渡り切っていただきたいと思います。モラルの問題ですね。
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