少年院に来る様な子供という区別
数年前に、少年院に来る子供の多くが円を均等に三等分できないという記事が見られました。内容は、知識の指摘ではなく、根本の能力が起因する様な感じで表現されていた印象があります。そういう能力だから、少年院に来る様な事をやってしまうといった様な感じで、私個人的には、そうだろうかと言った感じです。
能力ではなく知識やその活用では
私達は、一般的に習った事など使って三等分を出そうとします。それはそう教えてもらったから、それを無意識に駆使しようとするわけですね。例えば小学生の図形の面積を求める問題を大人が解こうとした場合、どや顔で「三平方の定理がー」とか「ルートがー」とかい言い出す分けです。私ですけどね(笑)。それは習った知識を駆使しようと、活用しようとするからです。もし少年院にいく原因になる行動で学校に行っていない期間が長いのであれば、それは走力ではなく知識の問題だと思います。
私達が無意識に活用している知識や経験
例えばクイズ番組で、急に”ヘンテコな並びの文字”を羅列されて「なんの果物でしょう」と言われたらどうしますか?多分、反転したり、アルファベットにしたり、数字にしたり、暦や曜日にあてはめたりするでしょう。何故そうするのですか?それで答えを導き出せた「経験」があるからですよね。答えを出す鍵がそれだったという「知識」があるからですよね。クイズを一切解いたことない人が居後したら、それらの解読方法は何の法則もない異常な方法だと感じるでしょう。しかし、「クイズ」というモノにはこれが有効だと知っているから、そういう解読方法を無意識に使うわけです。
根本的な能力を理由にするのは違和感
以上の事により、少年院の子供が三等分できないのは根本的な能力が無いのではなく、知識や経験を教わっていないからだと思います。そこに行くまでの活用するものが無いのです。だから解決できないのであって、能力が劣っているという結論は違うのではないかと思いました。
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