ルールの存在

雑談

ルールとは何か

ルールと言うのは、多くに人間が争いなく平和に何かに取り組むための決まり事であり、これを定める事で、もめ事なども回避できます。ルールにのっとり、競技や生活をする事で、効率よく進行する事が可能な面もあります。これに罰則が着いたものが「法律」で、ルールが優しくなったのが「お約束」です。そして、罰則や決まりが存在しなくても済むとても難しい概念が「モラル」と言えます。

ルールは何故あるか

ルールは、ほとんどの場合、何段階か進化します。1段階目が、「そのモノに対しての方向性や指針を予め設定しておく事」です。スムーズに進める為、円滑な進行の為に、最初から道を作る感じです。これがある事で、多くの人間が関係しても対応できます。2段階目が、「そのモノに対して進行に問題があった場合の改定」です。進行していて不備があったり、円滑に進まない障害を発見した時に改善策を講じて変えます。これを繰り返す事でルールに更に実用性が出てきます。3段階目として「ルールの抜け道を潰すための改定」をします。これがルールの存在意義と言っても過言では無いです。

最終的には罰則まがいのルールに

ルールは道筋として生まれ、何度も改訂され成長していきます。そしてある程度成長し完成した頃になると。今度は罰則に近い武装をします。それは、競技や環境に対して「抜け穴」を見つけて利益を得る者が出てくるからです。その為に、ルールは武装し、爪を研ぎ、無自覚な対象者まで攻撃する存在になってしまうのです。例えば何かの競技において、その競技終了後にドラッグの検査があったとして、「なんで競技終了後なんだ!?」と批判が飛ぶと思いますが、その競技は多分、最初は競技前だったのでしょう。しかし、あまりにも!あまりにもルールを守らない人間が増えたので、競技後になったのだと思います。ルールを武装改悪したのは、本当に運営でしょうか?過去の競技者に落ち度は無かったでしょうか?

武装ルール・罰則法律は恥じなければいけない

その武装ルールや罰則法律があるという事は、過去に問題があったからです。無ければそんなもの生まれません。そしてよく「法律でもあんのか!?」と言う意見を聞きますが「法律で縛らないとダメですか?」と問いたいです。あなた達の「モラル」を信じ、罰則法律や武装ルールを作らずにいるのですが、マスク着用や競技ユニホームは、あなた達の「モラル」を信じては駄目でしょうか。学校の校則もそうですが、過去に教師側に迷惑があったから決められたものなのに、生徒側は生活態度を変えずに、教師達にだけ対応しろと言うのは筋が通っているでしょうか。生徒にとっては個々ですが、学校にとって生徒は全校生徒で生徒です。A君が素行が悪くても、外の評価はA校の評価です。生徒の皆さんはA君が悪いで終わりですか。教師の仕事は勉強を教える事ですよ。

暴走する「権利」と「自由」

権利と自由は全ての人間に与えられた平等な物ものです。全ての人間は人の自由と権利を奪う事は出来ません。しかし、それは最近「乱用」されていませんか。京都アニメーションで被害にい合った遺族が「名前は公表してほしくない」と言っていて、それに対して「報道の自由!!」という主張は、モラルがあると言えるでしょうか。何の権利があってマスコミは被害者の遺族の意向を無視して晒す権利があるのでしょう。それは自由と言うべきでしょうか。亡くなった方の名前を公表し、有名なアニメーターの名前を出した事でネットで称賛され、それがマスコミの仕事でしょうか。疑問です。法律で制限しないとダメでしょうか。「モラル」では気づけないのでしょうか。権利と自由は乱用してはいけません。何故ならその対象の人間にも権利と自由があるからです。凄く難しいですね。

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