「被害を泣き寝入りしないで!」の責任

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何かしらの被害者を救済。

電車で痴漢に合った女性など、被害に合っても打ち明けられない人が多くいます。他にも、人間関係に失敗し、苦しんでいるけど、自分の力では改善できず、DVなど耐え続けている人達も多くいます。そういう人に対して、「泣き寝入りしないで!戦おう!」と、被害者を救済しようと奮闘してくれる人たちが居ます。彼らは、被害者が苦しんでるのが我慢できず、持てる力をもって救済しようとします。この気持ちと行動力は、素晴らしいと思います。しかし、問題はそこだけでは無いと思いませんか。

被害者の恐怖は”解決後”にある

この様な方々が、被害者を法的に導き、決着がついたとしても、それは完全に解決したと言えるでしょうか。被害者は顔見知りになってしまった加害者が、いつどこで自分を見ているか不安で仕方ないと思います。裁判をしたのなら、顔も名前も全部バレています。学校にも家族にも知れているでしょう。これらが完全に解消され、過去の事象としてリセットされるには、どれくらいかかるでしょう。リセットされればいいですが、もし加害者側や、その事件に対して不満を思う人間が居たとして、そもそも加害者になる様な人が、法的処置に絶対従うでしょうか。安心できると言えるでしょうか。

泣き寝入りは手段が無いからではない

被害者が泣き寝入りするのは、「大事にしたくない」という理由が大半を占めます。勿論、被害者も怒っているわけで、訴えられるなら実行したいはずです。それをしないのは、その後の波紋が怖いからです。気持ちは凄くよくわかります。被害者に「泣き寝入りしないで」という人達は、ここまでの責任を考えなければいけません。誰だって物事を複雑にしたくは無いです。自分が我慢すれば波が立たないなら、そうします。逆にそれで収まっていて、被害者は涙を飲んだのに、それを引きずりだすのは、正義と言えるのでしょうか。確かに、完璧に処理できたのならそれは大変感謝できる正義と言えると思います。しかし、被害を公表すれば、周囲にもれます。その波紋は、更に被害者を苦しめる未来が待っている可能性を孕んでいると思いませんか。

「救済」を自己満足で行ってはいけない

被害者は救済佐されるべきです。彼らを救済したいと立ち上がった人は、絶対的正義で評価されるべき行いです。これは絶対です。しかし、「被害に合った人が可哀そうで!加害者が平気でいる事が許せなくて!」という感情で、下手に意見を言ったり大事にする事は、正しいと言えるでしょうか。解決後の波紋まで、責任もって処理する事が出来るのでしょうか。被害者が一番恐怖を感じているのはそこなはずです。私達一般人も、ニュースなどで聞いた事件に対し、感情で下手に盛り上げ、被害者を社会的に苦しめていないでしょうか。第三者が感情で事件を蒸し返すのは、下手をしたら被害者にさらなる負担をかけます。しかし、だからと言って被害者に泣き寝入りさせてしまう結果が正しいとは言えません。実に難しい判断だと思います。

専門機関に相談を

被害に合った場合は、とりあえず、専門機関に相談しましょう。その後どうするかは、その時に決めればいいのです。とりあえず、しっかり相談しましょう。泣き寝入りは、正しいとは言えません。

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